2024年のモンゴル旅行
概要
2024年の夏にモンゴルに行った時の話
空港からゲルへ
ウランバートル国際空港に着いたのは夜の11時だった。 出発地の大阪と乗り換えの韓国はカンカン照りだったが、モンゴルの夜は真夏でも肌寒かった。 初日は空港の近くのホステルに宿泊した。 このホステルのオーナーはモンゴル南部のゴビ砂漠の村出身であり、村付近の遊牧民とコンタクトを取ってくれる。 そうやって遊牧民のゲル(伝統的なテントの家)に泊めてもらうのがこの旅行の目的だ。同学年の友達と二人で行った。
翌朝ウランバートルを出発した。 乗り合いのバンで600km先の街ダランザドガドへ行き、そこで車を変えて100km先のゲルに向かった。 南に行くにつれ山と草と牛の群れが少なくなって、代わりに砂利とラクダが増えていった。 見渡す限りの荒野をずっと進んでいくのが面白かった。 ゲルには電気が通っていないので電線を目印に進むことはできない。 ドライバーは轍とわずかな起伏を手がかりに進んでいるようだった。 ここでいきなり降ろされたらおしまいだなと思っていたけど、ちゃんとゲルまで送ってくれた。 夜8時だった。 お世話になる家族のゲルが二つ、親戚のゲルが二つ、そして客用のゲルが一つあった。 このゲルに6泊した。
遊牧民の1日
朝に家畜を移動させる。 降水が少なく土地が痩せているので、群れが草を食べ尽くしてしまうと回復するのにかなり時間がかかるらしい。 そのためバイクや車で追い立てて別の草地に群れを向かわせる。 何百頭もの家畜は壮観だった。 ヤギは群れの縁で外敵(車)とにらめっこして、羊は遠くへさっさと逃げるというように、性格に違いがあるようだった。
その後ゲルに戻って畑仕事をする。 ゲルの近くの丘から水が湧き出ていて、その水を畑に引いている(というより、湧き水があるからそこを夏営地にしていると言った方が正しい)。 スイカやメロンなどの果物と、トマトやピーマンも育てていた。 収穫した分は村や他のゲルに売るらしい。 雑草を取ったり、あぜを崩して水を通したり、見よう見真似で色々手伝った。 熟れすぎたスイカは割れてしまって運べないので、そういうのは畑で食べながら作業するのだった。
そうこうしていると長男が羊を一頭担いできた。 脚を持って仰向きに寝かせると、腹に開けた小さな穴に腕を入れて心臓を裂いた。 手際よく解体して毛皮と内臓と肉に分けるのを眺めていた。 その場で生の肝臓を少し食べるのが通らしく、流石に躊躇したけど断りきれずに食べてしまった。 盲腸と大腸には内臓肉を、小腸には血液と端肉を詰めてソーセージにした。
屠殺した日の昼ごはんは五目煮込みだった。 ここで五目とは肝臓・腎臓・肺・腸・血液を指す。 モンゴルの料理は香辛料を使わずに、塩だけで茹でたり炒めたりするのが基本だ。 友人も僕も羊くさいのは得意だったのでお腹いっぱい食べた。 モノが腐りにくいので多めに作って何食かに分ける予定なのを知らずに、毎食残さないように頑張っていたので、日本人はよく食うやつだと思われたかもしれない。
真昼間はみんなゲルの中で過ごす。 外の陽射しは火傷するくらい強烈だったが、ゲルの中は割と涼しかった。 昼寝したり家族と遊んだりした。 大富豪はやっぱりローカルルールがあって面白かった。
昼過ぎにネギを採りに行く日もあった。 そこらじゅうに生えている背丈15センチくらいの草が薬味として食用になっていて、真の名前がわからないので僕と友人はネギと呼んでいた。 本当にそこらじゅうに生えているのに、なぜか車で30分くらい移動してから採るのが不思議だった。 5人で大袋3つがいっぱいになるまで集めた。 ゲルに戻ってタライに空けて、枯れてるやつを取り除いて、刻んで塩でもむ。 これをガラス瓶に押し込んで蓋すると保存が効くらしい。 たくさん作ってこれも売るか配るかするらしかった。
モンゴルの夕方はとても長い。 太陽が傾いてくるとだいぶ外で過ごしやすくなるので、バレーボールしたり番犬と遊んだりした。 面白いのは太陽が沈むギリギリになっても青空のままだということだ。 20時半くらいに沈んでからやっと空がオレンジ色になる。 影がずっと向こうまで伸びて、みんなが一息つく夕方の時間が好きだった。
夜の星空は言わずもがな素晴らしかった。 ちょうど夏の新月の頃だったのもあり、目を慣らさなくても天の川がはっきりと見えて、人工衛星も簡単に見つけられた。 ゲル生活で星や遠くの丘を眺めて過ごしたので、視力が少し回復したようだった。
コミュニケーション
モンゴルの公用語はモンゴル語で、文字はキリル文字だ。 だから読むのも理解するのもハードルが高い。 モンゴル人の英語のレベルは(多分)日本と同じくらいで、話せる人はちらほらいるが、都会のタクシーの運転手でも話せない人は多い、という感じだった。 泊めてくれた遊牧民の家族はモンゴル語のみだったので重要な会話はGoogle翻訳で行った。 事前に日本語⇄モンゴル語の辞書をダウンロードしておけば電波がなくても翻訳してくれた。 奇妙な訳文が生成されることも多かったがとても助かった。
しかしそれでは面白くないので滞在中に単語をいくつか教わった。 初めに覚えたのは家畜の名前だった。 ラクダ(てめー)、羊(ほに)、ヤギ(やまー)、馬(もり、Rは巻き舌)、牛(うふる)。 次に覚えたのは家族の名前だった。 モンゴル語は母音の数が多く、日本語の感覚で発音するとかなり変に聞こえるらしかった。 何度聞き直しても正しく発音できなかったが、字で書いてもらってやっと違いがわかった。 キリル文字の発音を覚えて行って良かったと思った。 あとは飲食に関する単語も重要なので覚えた。 肉(まは)、美味しい(あむとたい)、無い(ばはこい)、お茶(つぁい)、湧き水(あるしょー)など。
飲み会
ある晩に家族みんなで車に乗って村に行った。 村の店に行くと別の家族もいて、しばらく待ってると何十人も集まった。 長机が二列に配置され、向かい合うように着席した。 おじさんが一曲歌って宴会が始まった。
宴会は馬乳酒の飲み比べ勝負だった。 長机の同じ側の人たちがチームになって、向かいのチームとモンゴル式じゃんけんをする。 剣道の試合みたいに勝ち残りでじゃんけん勝負をして、先に全滅した方のチーム全員がどんぶり一杯の馬乳酒を一気飲みする。 馬乳酒の度数は甘酒くらいなので子供でも参加できるが、味が非常に独特なのでそっちの方で限界が来る。 僕は3~4杯で飲めなくなった。現地の人も外で吐いているようだった。 どんどん脱落していって後半は体格のいいおじさん達が残り、かなりヒートアップしていた。 やはり最後の一人は尊敬されるらしかった。
再びウランバートルへ
名残惜しかったけどゲルを離れて、行きと同じ道を通って首都に戻った。 そのあとは普通に何日間か観光したのだが、ウランバートルは人が多すぎて色々と良くない印象があった。 モンゴルにいるうちから遊牧民が懐かしく感じるくらいだった。 ゲルで良くなった視力もウランバートルで元に戻ってしまった。
次は冬に行きたい。冬はラクダの肉を食べるらしい。
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