琵琶湖疏水に琵琶湖の水は流れていない
概要
琵琶湖疏水とは琵琶湖と京都を結ぶ運河であり、明治期の竣工から現在に至るまでさまざまに利用されてきた。 その名前からして、琵琶湖疏水に流れるのは琵琶湖の水だと誰もが思うだろう。 この記事ではキメラ化した琵琶湖疏水の実像を暴く。
琵琶湖疏水とは
人口密集地である京都に豊かな琵琶湖の水を引くという野望は昔から存在したが、二つを隔てる大坂の関などの山によって阻まれていた。 (というより、山で京都・大阪と隔絶しているので水が溜まって琵琶湖ができたという方が正しいかもしれない。) 明治の中頃、遷都によって衰退した京都を活気づけるという目的と西洋の土木技術という手段が重なり、トンネルを掘って琵琶湖から運河を引く公共事業が実現した。 こうしてできたのが琵琶湖疏水だ。 以来130年間、上水道・灌漑・水運・発電などさまざまに利用されてきて、2025年には一部が国宝に指定された。 今回の記事では特に疏水分線を取り上げる(図1)。 京都側でトンネルから出てきた後、京都盆地を北に迂回して堀川と合流する流路に沿って、疏水分線の興味深いポイントを見ていこう。
蹴上
琵琶湖からやってきた水は蹴上で分岐する。 二つの流れのうち北に向かうのが疏水分線だ。 当初の案ではこの流路だけが計画されていたようだが、その後西の鴨川へ向かう流れが追加され、こちらに分線という名前がついた[1]。 疏水分線は1890年からあって、1912年に井戸水を代替する上水道の水源として利用されることになった[2]。 したがって当時は上水道を賄う豊かな流れだったはずだが、1949年の工事で上水道の分は地下トンネル化された[3]。 現在地下トンネルの流量が16.5m3/s[4]なのに対し、地上を流れる疏水分線の流量は目測で0.5m3/s程度に過ぎない。
余談だが、京都は北が高くて南が低いので疏水分線は高低差に逆らっているように見える。しかし実際は蹴上の標高を失わないようにほぼ等高線に沿って流すことで北まで運んでいるそうだ。 当時の測量が偲ばれるところだ。
白川との交差
蹴上から南禅寺を貫通して北上する区間は哲学の道として整備されている。 哲学の道に沿っていくと交番のところで白川と交差する。 注目するべきは、白川と疏水の水面は同じ高さなのに、交差点では水が混ざっていないという点だ。 伏せ越し(あるいは逆サイフォン)と呼ばれる工法によって立体交差しているのだ(図2)。 どちらも元を辿れば雨水なのにわざわざ伏せ越しているところから、琵琶湖疏水に琵琶湖以外の水を流さないという潔癖さが感じられる。 (しかし、これはのちに裏切られることになる。)
志賀越道
さらに進むと志賀越道のところで上下水道局管理から建設局管理に切り替わる。 調べても理由がわからなかったが、疏水分線のうち1951年に賀茂川以西が、1961年に志賀越道以北がそれぞれ土木局(現在の建設局?)へ所管替えされたそうだ[5]。 蹴上にある疏水記念館は上下水道局管理が運営しているので、疏水記念館の展示では疏水分線がここで終わっていることになっている(図3)。 実際に歩いてみると確かに志賀越道のところで雰囲気が変わり、後述するように琵琶湖疏水としての正当性も怪しくなってくる。
高野川との交差
さらに進むと高野川と交差する。 交差の手前で暗渠になるのでここでも伏せ越しになっているかと思いきや、ちょっと南に放水路らしきものがある(図4)。 文献によると1890年の竣工時は長さ164メートルの木樋で、のちにコンクリート樋で確かに伏せ越していたそうだ[6]が、いつの間にか高野川に合流するようになってしまったのか。 ググってみると色んなネット記事がこの問題を取り上げて放水路を怪しいと睨んでいるが、実際に放水路を調べた記事はないようだ[7]。 というわけで入ってみた。
高野川から放水路に入って遡ると、100メートルくらいで疏水分線に出た(図5)。 やっぱり疏水の水は高野川に合流している。 この日は初雪の日だったので疏水は冷たかった。 もしかしたら別経路で越える流れがあるのかもしれないが、少なくとも地上の流れの大半が高野川に合流しているのは確かだ。
再び余談だが、この放水路の付近には上下水道局の営業所や建設局の事務所が密集している。 疏水の真理を求める者を監視するためだろうか。 京都市の陰謀を感じずにはいられない。
ところで高野川の対岸には松ヶ崎浄水場があり、疏水分線と並行してきた上水用の地下トンネルがここで終わって、その水は浄水場の原水として利用されている。 したがって、浄水場で利用しきれなかった原水が高野川対岸で疏水分線を復活させるという期待ができるが、残念ながらそれも実現していない。 原水処理の過程で粉末活性炭を混ぜた水を放流することができないからだ[8]。 そのため松ヶ崎浄水場から先の流れは非常に乏しく、少し進んだところで疏水分線は完全に干上がってしまう。
泉川との交差
高野川交差以上にスキャンダラスなのが泉川交差だ。 現地でこれを見た時は驚いた(図6)。 途切れてしまった流れを埋め合わせるかのように、泉川の一部を疏水分線に引き込んでいる。 泉川は高野川の支流である。 琵琶湖以外の水が公然と積極的に取り入れられるのを見ると、なんだか裏切られたような気持ちになってしまうが、水路を清潔に保つためには致し方ない[9]ようだ。
以上から、琵琶湖の水が高野川交差から先に含まれているかはかなり怪しく、泉川交差から先には全く含まれていないということがわかる。
賀茂川との交差
気を取り直してさらに進むと賀茂川との交差がある。 竣工当初は疏水が賀茂川を伏せ越して紫明通沿いを走り堀川に注いでいたが、あるとき賀茂川から先は埋め立てられ、高野川交差と同様に賀茂川に合流するようになった。 しかし2009年になってまた工事を行い、紫明通に沿ったせせらぎが復活している[10]。 この水は賀茂川を伏せ越してポンプアップされた疏水の水(正確には泉川由来の水)だ。 もはや琵琶湖の水ではないのにわざわざ伏せ越しにした理由は謎である。 また、せせらぎに沿って作られた公園が完全に持て余されているのも面白い。 せせらぎは堀川に合流して、ここで疏水分線は終わる。
- 「琵琶湖疏水の100年」叙述篇221ページ参照 ↩
- いわゆる京都三大事業の一つ。疏水記念館の展示参照 ↩
- 「琵琶湖疏水の100年」叙述篇646ページ参照 ↩
- 京都市上下水道局令和7年度版水道統計年報68ページ参照 ↩
- 「琵琶湖疏水の100年」叙述篇518ページ参照 ↩
- 「琵琶湖疏水の100年」叙述篇172ページ参照 ↩
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http://pensiero.seesaa.net/article/392656966.html
https://agua.jpn.org/biwacanal/route.html
https://agua.jpn.org/biwacanal/bun3.html
https://ameblo.jp/silverkyotowalking/entry-12924606224.html ↩ - 京都市への問い合わせその1参照 ↩
- 京都市への問い合わせその2参照 ↩
- 堀川水辺環境整備事業のページ参照 ↩